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第10回神宮外苑24時間チャレンジ回想記

今年で10回目を迎えたこの大会。僕は昨年に引き続き2回目の出場となりました。今回は、160周走って、211,92960km。第16位という結果でした。

では、記憶が冷めきらないうちに、大会のレポートを記しておきたいと思います。


決戦は、前日の夜から始まった。2年前のアワイチ(淡路島一周練習会。145km)で知り合って以来、親交を重ねている、岡山在住のイカレポンチ研究所所長(通称:イチゴ・オレさん)と合流して、久々の再会を祝して、そして翌日の健闘を祈っての前夜祭。イチゴ・オレさんには、8月の神戸24時間の時にとってもお世話になった。気温35度前後の猛烈な暑さの中、テントを一緒に使わせていただいた。あの、カセットボンベ式の冷蔵庫のおかげで、冷たいビールにもありつけた・・・。

あの時は、あまりの暑さに、日中は2周おきに(1周1,7km)、給水&全身水浴びをしなければ走り続けられないほどの過酷な真夏のレースだった。190kmを走って2位という結果。これを受けて、今回の神宮外苑で200kmを超えるという目標の目途がついた。
それに、先月の沖縄サバイバル400kmを完走して新たな自信も生まれた。そこで今回は最低ラインを200kmに設定し、そこから、キロ6分ペースの240kmまでどれだけ迫れるかに挑むことにした。

朝7時起床。8時半過ぎに、会場である神宮外苑に到着。本部、エイドステーション、選手の休憩用テントが設営される中、続々とランナー達が集まってくる。皆さん、一見、善良な市民ランナーのようなふりをしてるが、まったくもってそうではない。中身は、走るド変態達なのだ。考えてもみれば、真冬の神宮外苑の1,345kmのコースを安くはない参加料を払ってまで、ぐるぐるぐるぐるハムスターよろしく走ろうだなんて正気の沙汰とは思えない。中には、遠方から、交通費と宿泊費まで払ってこんなバカげたことをやりに来る人もいるのだ。しかも相当数・・・。そんなお金があったら、どこか旅行に行きたい!普通の人ならそう考えるだろう。でもふと思った。24時間や、ウルトラマラソンを走る人たちにとっては、走ってる瞬間こそが旅そのものなのだと。

ゴールまでの長い道の途中には、喜怒哀楽さまざまな感情を体験する。ランナーズハイ、なんてものは、流れ星のようなもので、大体は、痛み、不安、苦しみなど、ネガティブな気持ちを抱えていることが多い。基本、気持ちが沈んでいるから、たまに訪れる些細な幸せに、はちきれんばかりの喜びを覚える。予期せぬトラブルなんかもたくさんある。もちろん、事前にいろいろ対策を用意していても、それでもその間隙を縫って禍はやってくるものだ。そいつらに屈せぬよう、その場その場で最善と思われる策を選ぶ。それを繰り返しながらゴールまで。そういった意味で旅との共通点が多い。もちろんリゾートの旅というより、一人旅の方だが。

そんな孤独な旅への一番のご褒美はなんといっても応援だと思う。今回も知人、友人、ラン仲間。いろんな人がやってきてくれた。走ってても寒いんだから、じっとして応援してる方はもっともっと寒くて辛いんだろうな。と、思いながら、ありがたくその声援を力に変えて走る。

昨年は、なるべく前半に貯金を作って、後半はヘロヘロになりながらもゆっくりのんびり粘ろう、という作戦で、見事に失敗した。100kmのベスト8時間1分の僕が、最初の100kmを8時間35分ぐらいで突っ込んでしまった。9時間目までゆっくり休んで、残り15時間で100~120kmぐらいはいけるだろうと思ったら、脚が壊れてまったく使い物にならず。走ったり、歩いたりを繰り返したが、歩いてると猛烈な睡魔に勝てなくなり眠る。こんなことでは一向に距離は伸びず、結局朝方、20時間ぐらいの時に競技終了。169kmで散った。

今回の作戦は、前後半12時間をなるべくイーブンで走ること、にした。なのでとりあえず、前半12時間の目標を120km~125kmにして、自分としてはかなり抑えたペースで淡々と走った。
50kmの通過が4時間35分ぐらいだったかな?抑えて走ってるとはいえ、疲労は着実に蓄積し、徐々に痛みも出てくるようになった。やはり、1か月前の沖縄サバイバルのダメージが抜けきっていなかったようだ。

痛みの部位をあまり刺激しないように、慎重に、そして少しペースを落として走る。100kmの通過は9時間20分ぐらいだったかな?そんな感じで、時限爆弾をいくつか抱えながら前半の12時間を終える。125km。ここまでは当初の計画通りだった。そして、まだまだ余裕なはずだった。そこから走ること1時間半。12時半過ぎに脚が止まった。思ったよりも早く、最初の爆弾が炸裂した。身を切るような寒さも影響したのだろう。ここで1回目のピットイン。テントに戻り、脚を休める。テントとはいっても、屋根があるだけで、横の囲いはない。ほぼ、まんま屋外だ。じっとしていると、急激に体温が奪われ、筋肉は瞬間冷凍のように、ガチガチになってしまう。長居は禁物だ。再出発できなくなる。簡単なセルフマッサージを施し、エイドで腹いっぱいの補給をする。カレー、そば、シチュー、チキンラーメン、たまご粥、おしるこ、なめこ汁…他。これら温かいもののほかにパン、おにぎり、果物、お菓子、梅干し…他、常時いろんなものにありつける。もちろん、各種飲み物も。24時間マラソンは、エイドも24時間体制なのだ。一体どれだけの食料を準備されたのか。

再び走り出すも、痛みは消えず、ペースが上がらない。このまま昨年のように、走れなくなってジ・エンドか。最悪のシナリオが頭をよぎる。午前1時からの4時間。走って歩いて休んでを繰り返す。なんとか歩くも、歩きだと、睡魔に負けてしまう。右に左にフラフラしながら、何度か植え込みに突っ込みそうになる。ごまかしごまかし距離を積み重ねていったが、午前5時の時点で、160kmを少し超えた程度。このコンディションでは、最低目標の200kmすら黄色信号だ。元気な時の、40kmと、半死の状態での40kmは雲泥の差がある。この40kmが大きな壁となって、僕の前に立ちはだかっているのを猛烈に感じた。でもこの精神状態でははっきりいって勝てる自信もあまりない。少しずつでも歩いて、塵も積もれば山作戦をとるべきかどうか。それとも思いっきり休んで、奇跡の回復を信じるか。でも、休憩テントは寒くて、全然体が休まらないし。進むも地獄、止まるも地獄。まさにそんな状況だった。どうしようか、どうしようか・・・。エイドと、テントを行ったり来たり。考えようにも、思考力も停滞しているしなかなか結論が出ない。

で、結局一旦眠りに落ちることに。あるものを全部来て、バスタオルにくるまって。後は、疲労で寒さを感じないことを祈りつつ。アラームはセットせず、目が覚めたとこから残りの時間、是が非でも走り続けて200kmを目指すという今考えればとても恐ろしい、暴挙のような行動に出てしまった。

見事に眠りに落ちることに成功し、差し込む朝日と、かじかんでしびれる指先の痛みで目が覚めた。午前6時半。冷たいアスファルトの上で、気温2度。予想通り、最悪の目覚めだ。3000年の時を経て、掘り出されたミイラのごとく、ふと目の前に広げられた現実に、まったく反応できない自分がいた。ランナーの足音と、わずかばかりの声援が耳に入る。僕の周りには、野戦病院の負傷兵たちが所狭しと寝転がっていた。

どうやらまだこの闘いは終わっていなかったらしい。早く戦場に戻らないと、このまま土に還ってしまう。焦る気持ちとは裏腹に、幽体離脱をしてしまっている体をなかなか動かせない。お腹もかなり減っていたらしい。もうゴールまでここには戻ってこないと心に決め、寝床を片付ける。この時6時45分。筋肉という筋肉が、関節という関節が凝り固まり、ギシギシ、ミシミシ、ガクガクと不協和音を奏でる。這うようにエイドまで辿り着く。カレー2杯、なめこ汁、お汁粉、おにぎり、お菓子。その他あらゆるものをかき込む。

時刻は6時50分を回り、現在166km。残り4時間で34km稼がなきゃならない。文字通り、背水の陣だ。最初は歩き、少しずつ眠っていた体を端々まで起こしていく。痛みはあるものの、だいぶ楽になった。徐々に小走りへと切り替えていく。

走れる!
もしかしたら、それも勘違いで数分後にはまた歩き出すなんて可能性もあった。用心して抑えるべきかどうか、また迷った。でも、ここ数時間、走れないという苦痛を体験してきた僕には、再びこうして走れることが何よりも嬉しかった。なので、走った。同じランナーから、応援の人たちから、うぉー、って驚かれるようなスピードで走った。一気に180km手前まで稼いだ。200kmまで残り3時間で21kmのところまできた。平均して、時速7km、つまりキロ9分をちょっと切るペースでいい。歩きを混ぜても十分にいける。でも気を抜いたら、また一気に走れなくなるかもしれない。歩くという選択肢は捨てることにした。日が昇り、少しずつ気温も上がってきたおかげで、体も調子よく動いてくれた。動き続けてくれた。

午前9時59分。ゴールまであと1時間1分の時点で、200kmを突破!!こともあろうに、1時間以上前に目標を達成してしまった。あとはもう、歩いて回ろうか。いや、ここまで来たら210kmまで行こうじゃないか!!!

そこから8周粘った。
30分ぐらい前から、コース上の係員の方たちが残り時間のカウントダウンを始める。残り20分、15分…。残り10分の声が聞こえると、さっきまで死にかけていた大勢のランナー達が、最後の最後の力を振り絞り、脚を引きづりながら、ラストスパートを始める。24時間の闘いに終止符を打つための儀式だ。すれ違うランナー同士、お疲れ様でした!ナイスラン!お互いにここまでの健闘を讃えあう。みんなそれぞれの目標に向かって、それぞれのコンディションのなかで死力を尽くした人たちだ。昨年、朝方帰ってしまった僕にとっては。この場で、この人たちと一緒にいられることが何よりも誇りに思えた。

ゴールの瞬間が近づくにつれて、沿道の声援も大きくなる。カウントダウンがついに秒単位になる。終了の合図と同時に、手渡されていた、自分の番号札をその場に落とす。そこに係員さんがチョークでしるしをつける。前後を見渡すと、24時間を闘い抜いたランナー達が、歩道に崩れ落ちている。でも、悲壮感はない。みんな清々しい表情をしている。お疲れさま!ありがとうございました!の声が飛び交う。

僕は、本部前から300mほど行った、銀杏並木の信号の前まで辿り着いた。走ってた人は間違いなくご存知かと思うが、この地点には、スタートからゴールまで夜を徹して一人で声援を送り続けてくださった一人の女性がいた。夕方ごろ、今日は徹夜で応援ですか~?
と軽い調子で聞いたら、はいそうです、と返ってきて、まさかそれが本当にそうなるとはその時は思いもしなかった。名前も存じ上げない方だが、あの応援のがんばりには
完走の栄誉を差し上げたいぐらいだ。この場を借りて、お礼申し上げます。どうもありがとうございました。

こうして僕の24時間走、212kmの旅は終わった。240kmの夢にはまだまだ距離があるものの、いろいろ反省して、準備をして、この目標に向かって頑張りたいと思った。

実行委員の皆さん、スタッフの皆さん、沿道に応援に来てくださったみなさん、そして、途中互いに励まし合った(変態)ランナーの皆さん、どうもありがとうございました。パワーアップして、また来年この場に戻ってくるつもりです。再会を心より楽しみにしています。


では、いくつか、いただいた写真を載せます。

昼間のカトルス星人

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夜間のカトルス星人
頭のライトが点灯してます。

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実は、背中のファスナーが壊れてしまいました。
次のレースまでに手術が必要そうです。

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ラスト数分のカトルス星人
このとき、思いっきりスパートしてます。

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ゴール後に、イカレポンチ研究所所長のイチゴ・オレさんと

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Catsu





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  1. 2015/12/21(月) 11:19:54|
  2. 歌うアスリート

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