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沖縄サバイバルラン400km 回想記2016 その⑩

タイムリミットの正午まで残り1分を切り、カウントダウンが始まったところで滑り込みでOさんが飛び込んできた。さぞかし喜びと安堵感で一杯かと思いきや、当のOさんは、おかげであと100キロまた苦しまなきゃいけない羽目になった、とため息混じりだ。もちろんこれはOさんならではのジョークだが、僕にとっても他人事ではない。サバイバルはここで終わりなわけではなく、まだ続くのだ。でも残り時間を考えれば焦らなくてはいけない要素はない。それこそ歩きに毛が生えた程度でも進み続けていればゴールには間に合う。昨年は、2時間ほどたっぷりこのCPで休憩を取った。今年は、直前のダッシュのダメージもあり、心身ともにボロボロだったので、もう1時間余計に、休むことにした。15時にやっと腰を上げると、もう誰も残っていなかった。独りぼっちで最後尾というのはなんと心細いものだろう。でも、まあいいか、十分回復したし、走っていれば追いつけるだろう、と。次の瞬間、激痛が走った。尻が、股が痛い。そういえばずっと痛かったはずだが、関門通過に気を取られていて、痛みを忘れていたようだ。いざ、関門を通過して、緊張の糸が切れたとたん、さらにパワーアップして猛烈な痛みとして、再び僕に牙をむいてきたのだ。走ることはおろか、歩くのもままならない。ワセリンを塗っても大した効果もない。どうしたらいいものか。対策を考えていたらいつのまにか勝連半島を全部歩きとおしてしまった。ティッシュやガーゼ、テーピングテープを使ったり、いろいろ試すものの、これといった解決策が見当たらない。股ずれさえ気にならなくなれば走れるのに・・・。そんなもどかしい気持ちのまま時間だけが過ぎていく。そろそろ日も暮れだしたころ、残り時間は18時間となるも、まだ10kmほどしか進めていなかった。さすがにこのペースでは間に合わない。僕はあがくのをやめることにした。その痛
みから逃げるのではなく、引き連れていくことにした。薬局で売ってなかったワセリンが、幸いコンビニに売っていたので、3つほど大人買いをする。ストックを確保した僕は、贅沢に「塗っては進む作戦」に打って出た。しかしながら効果はこちらの期待ほどには長続きしない。固形であるはずのワセリンが薄情にも汗と共にどんどん流れていってしまうのだ。これではもはやワセリンではない。ローションじゃないか!イライラは加速していくも。僕は走っては止まって、塗ってを繰り返す。それでもなんとか与那原のT字路を左折して、国道331号線へと入った。少し行ったところで、リタイア組の皆さんが揃って出迎えてくれた。数キロ先にある佐敷のCPを午前1時までに出れば間に合うはずだからという昨年の情報をもらう。その佐敷のエイドに着いたのが午前0時前。温かいスープなどを補給して、最後の仮眠を取ることにした。午前1時まで、1時間ほど眠りに落ちる。コンビニからお借りした段ボール敷布団が心地よかった。まだまだ寝ていたい気持ちを振り切り、最後の闘いへと戻る。午前2時の時点で、残り10時間で50キロちょっとあった。時速5キロのセーフティー域まで、少しペースを上げる必要があった。股ずれの痛みはさらに悪化し、もうガニ股でしか走れなくなっていた。逆に言えば、ガニ股であれば走り続けることができたので、ここにきて再び一筋の光が見えた気がした。少し前を走っていたOさんに追いつく。かなりフラフラなのが後ろから見てとれる。並走することも考えたが、今は自分のペースを維持することが精一杯だったので、その旨をOさんに告げて、僕は先に行った。時折振り返ると、闇の向こうからチラチラとOさんのヘッドライトの光が見える。少し距離はあっても、一緒にがんばっているOさんの存在を感じ取れることは大きな励みだった。走っていれば何とか時速6キロ程度でていたので、数時間後には、少し貯金ができていた。でも気を抜くすぐなくなってしまうぐらいの貯金だったので、コンビニ休憩も2回のみ、どちらも2~3分程度で済ませて先を急いだ。平和記念公園に向かう長い登りと長い下りを終えて、ひめゆりの塔の前を過ぎたあたりで、先を行っていた、TさんとMさんが道端でうずくまっていた。(Mさんは元気で、Tさんの介抱をしていた。)残り時間を考えると、ここから歩いてではゴールまで間に合わない。でもTさんが走れない状態であるのはすぐわかった。ここまでがんばってたどり着いたのに。Tさんの無念さが伝わってくる。眠っているTさんを起こさないよう無言でエールを送り、僕は再び先を急ぐ。このあとまだ喜屋武岬までの往復が待っている。喜屋武岬へと続く古波蔵の交差点に向かう直線道路の途中、足音を聞いた気がして振り返ると、TさんとMさんが軽快な足取りで走っていた。数分前の状況を考えると、奇跡の復活という言葉がぴったりだった。僕とは次元の違うスピードで走り去っていった。どこにあんな力が残っていたんだろう。瀕死の状態からのV字復活がありえるのもこのサバイバルならではと思った。その先の喜屋武岬ですれ違った時も、二人の元気な足取りは変わっていなかった。間違いなくゴールまでは行けるだろう。あとは、僕自身と、後ろでがんばっているはずのOさんが頑張らなくては。喜屋武岬までの砂利道がふらふらな脚には堪える。灯台で折り返して少し行くと、同じくふらふらのOさんとすれ違った。なんとか大丈夫そうだ。残り17キロ。3時間半ちょっと。多少歩きを入れても間に合う計算だったが、走れているうちにより多く貯金を作っておきたかったのでなんとか走り続けた。もちろんガニ股のままで。市街地に入ってきて、多少周囲の目も気になり始めたが、そんなこと構っていられる余裕はなかった。残り10キロを切って、2時間ちょっと残っていたので、ここでようやく早歩きに切り替えることに。思えば8時間以上走り通しだった。そう、ガニ股で。早歩きになっても、やっぱりガニ股のままだった。いくつか橋を越え、残り7キロ地点を通過。まだ1時間半ある。もっと時間にも肉体的にも余裕があれば、400キロの最終盤のこの数キロをウィニングラン気分で走れたであろうものの、僕にはもがくようにガニ股のまま無心で歩き続けるしかなかった。

つづく
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  1. 2016/12/21(水) 13:22:19|
  2. 歌うアスリート

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