音楽catsuどう?

catsuのブログです。暇つぶしのお役に立てれば・・・。ライブ情報なんかもこちらから発信しますので、たまにチェックを

明日、12月28日(水)銀座

カフェ・イズミにてライブやります!
18時30分Open、5,500円、食事、ワンドリンク付です。

善彬のほかに、ギターの並木さん、ベースの菅井さんが加わり、贅沢なメンバーで演奏お届けします。ボーカルは竹下ユキさんと、金子睦さん、そしてわたくしCatsuでございます。






翌日は、朝9時から、有楽町駅を起点に反時計回りで山手線一周仮装ゴミ拾いランに参加してきます。

Catsu
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  1. 2016/12/27(火) 18:44:24|
  2. ライブ情報

クリスマスイブナイト @渋谷カフェ・ド・モミュ

今夜やります!
クリスマスイブ、おひとりでもカップルでも。ぜひライブを聴きに来てくださいませ。

カフェ・ド・モミュ
◆ open19:00 start20:00頃〜 / charge¥2500 + 1drink 〜 ◆ カフェ・ド・モミュ : 渋谷駅 宮益坂口より徒歩数分。渋谷郵便局を過ぎて最初の路地を左折、50m先右側。 ℡ 03-3409-0040

Catsu

  1. 2016/12/24(土) 13:55:03|
  2. ライブ情報

12月22日(木)19時30分~ 蛙たち

に出演します。
雄ちゃん、劉さん、Erinneと蛙たちメンバーと一緒です。ステージは19時30分~と21時~の2回。開場19時、MC4,000円です。

よければ遊びに来てくださいませ!

アクセスはこちらを

http://www.kaerutachi.jp/map.html


Catsu
  1. 2016/12/21(水) 22:02:44|
  2. ライブ情報

沖縄サバイバルラン400km 回想記2016 その⑩

タイムリミットの正午まで残り1分を切り、カウントダウンが始まったところで滑り込みでOさんが飛び込んできた。さぞかし喜びと安堵感で一杯かと思いきや、当のOさんは、おかげであと100キロまた苦しまなきゃいけない羽目になった、とため息混じりだ。もちろんこれはOさんならではのジョークだが、僕にとっても他人事ではない。サバイバルはここで終わりなわけではなく、まだ続くのだ。でも残り時間を考えれば焦らなくてはいけない要素はない。それこそ歩きに毛が生えた程度でも進み続けていればゴールには間に合う。昨年は、2時間ほどたっぷりこのCPで休憩を取った。今年は、直前のダッシュのダメージもあり、心身ともにボロボロだったので、もう1時間余計に、休むことにした。15時にやっと腰を上げると、もう誰も残っていなかった。独りぼっちで最後尾というのはなんと心細いものだろう。でも、まあいいか、十分回復したし、走っていれば追いつけるだろう、と。次の瞬間、激痛が走った。尻が、股が痛い。そういえばずっと痛かったはずだが、関門通過に気を取られていて、痛みを忘れていたようだ。いざ、関門を通過して、緊張の糸が切れたとたん、さらにパワーアップして猛烈な痛みとして、再び僕に牙をむいてきたのだ。走ることはおろか、歩くのもままならない。ワセリンを塗っても大した効果もない。どうしたらいいものか。対策を考えていたらいつのまにか勝連半島を全部歩きとおしてしまった。ティッシュやガーゼ、テーピングテープを使ったり、いろいろ試すものの、これといった解決策が見当たらない。股ずれさえ気にならなくなれば走れるのに・・・。そんなもどかしい気持ちのまま時間だけが過ぎていく。そろそろ日も暮れだしたころ、残り時間は18時間となるも、まだ10kmほどしか進めていなかった。さすがにこのペースでは間に合わない。僕はあがくのをやめることにした。その痛
みから逃げるのではなく、引き連れていくことにした。薬局で売ってなかったワセリンが、幸いコンビニに売っていたので、3つほど大人買いをする。ストックを確保した僕は、贅沢に「塗っては進む作戦」に打って出た。しかしながら効果はこちらの期待ほどには長続きしない。固形であるはずのワセリンが薄情にも汗と共にどんどん流れていってしまうのだ。これではもはやワセリンではない。ローションじゃないか!イライラは加速していくも。僕は走っては止まって、塗ってを繰り返す。それでもなんとか与那原のT字路を左折して、国道331号線へと入った。少し行ったところで、リタイア組の皆さんが揃って出迎えてくれた。数キロ先にある佐敷のCPを午前1時までに出れば間に合うはずだからという昨年の情報をもらう。その佐敷のエイドに着いたのが午前0時前。温かいスープなどを補給して、最後の仮眠を取ることにした。午前1時まで、1時間ほど眠りに落ちる。コンビニからお借りした段ボール敷布団が心地よかった。まだまだ寝ていたい気持ちを振り切り、最後の闘いへと戻る。午前2時の時点で、残り10時間で50キロちょっとあった。時速5キロのセーフティー域まで、少しペースを上げる必要があった。股ずれの痛みはさらに悪化し、もうガニ股でしか走れなくなっていた。逆に言えば、ガニ股であれば走り続けることができたので、ここにきて再び一筋の光が見えた気がした。少し前を走っていたOさんに追いつく。かなりフラフラなのが後ろから見てとれる。並走することも考えたが、今は自分のペースを維持することが精一杯だったので、その旨をOさんに告げて、僕は先に行った。時折振り返ると、闇の向こうからチラチラとOさんのヘッドライトの光が見える。少し距離はあっても、一緒にがんばっているOさんの存在を感じ取れることは大きな励みだった。走っていれば何とか時速6キロ程度でていたので、数時間後には、少し貯金ができていた。でも気を抜くすぐなくなってしまうぐらいの貯金だったので、コンビニ休憩も2回のみ、どちらも2~3分程度で済ませて先を急いだ。平和記念公園に向かう長い登りと長い下りを終えて、ひめゆりの塔の前を過ぎたあたりで、先を行っていた、TさんとMさんが道端でうずくまっていた。(Mさんは元気で、Tさんの介抱をしていた。)残り時間を考えると、ここから歩いてではゴールまで間に合わない。でもTさんが走れない状態であるのはすぐわかった。ここまでがんばってたどり着いたのに。Tさんの無念さが伝わってくる。眠っているTさんを起こさないよう無言でエールを送り、僕は再び先を急ぐ。このあとまだ喜屋武岬までの往復が待っている。喜屋武岬へと続く古波蔵の交差点に向かう直線道路の途中、足音を聞いた気がして振り返ると、TさんとMさんが軽快な足取りで走っていた。数分前の状況を考えると、奇跡の復活という言葉がぴったりだった。僕とは次元の違うスピードで走り去っていった。どこにあんな力が残っていたんだろう。瀕死の状態からのV字復活がありえるのもこのサバイバルならではと思った。その先の喜屋武岬ですれ違った時も、二人の元気な足取りは変わっていなかった。間違いなくゴールまでは行けるだろう。あとは、僕自身と、後ろでがんばっているはずのOさんが頑張らなくては。喜屋武岬までの砂利道がふらふらな脚には堪える。灯台で折り返して少し行くと、同じくふらふらのOさんとすれ違った。なんとか大丈夫そうだ。残り17キロ。3時間半ちょっと。多少歩きを入れても間に合う計算だったが、走れているうちにより多く貯金を作っておきたかったのでなんとか走り続けた。もちろんガニ股のままで。市街地に入ってきて、多少周囲の目も気になり始めたが、そんなこと構っていられる余裕はなかった。残り10キロを切って、2時間ちょっと残っていたので、ここでようやく早歩きに切り替えることに。思えば8時間以上走り通しだった。そう、ガニ股で。早歩きになっても、やっぱりガニ股のままだった。いくつか橋を越え、残り7キロ地点を通過。まだ1時間半ある。もっと時間にも肉体的にも余裕があれば、400キロの最終盤のこの数キロをウィニングラン気分で走れたであろうものの、僕にはもがくようにガニ股のまま無心で歩き続けるしかなかった。

つづく
  1. 2016/12/21(水) 13:22:19|
  2. 歌うアスリート

第11回 神宮外苑24時間チャレンジ 敗戦記

タイトルの通り、今回は惨敗してしまいました。要因はいくつかありますが、今はちょっとした虚無感に襲われているので分析はまた改めてやることにしようと思います。12時間まではほぼ設定どおりの時速10kmのペースで行きました。さて、残り半分どうやって闘おうか考えている矢先に左足、右足と違う箇所がやられ始め、14時間半が経過したあたりで、走れなくなってしまいました。一旦横になったのが致命的で、あまりの寒さに一瞬で凍え、起き上がれなくなり、そのままジ・エンド。最後90分再び歩き、走り、でなんとか150kmを少し超えただけで終わってしまいました。何人かあの寒空の下、応援にかけつけてくれて、そのためにも頑張りたかったのですが、それも叶わず無念でした。またリベンジしたいと思います。
とりあえず報告とお礼まで。

Catsu
  1. 2016/12/19(月) 14:20:40|
  2. 歌うアスリート

第11回神宮外苑24時間チャレンジ

沖縄サバイバル回想記も書ききらぬ今日この頃、新たな決戦の朝を迎えました。今回で3回目になる神宮外苑24時間。一昨年169km、昨年212km、今年は、、、?230kmを狙って行こうと思います。それよりなにより、何があっても終了の時間まで闘い続けたいと思います。今日土曜日11時出発。明日日曜日11時までの24時間。長い。神宮外苑1周1.3245kmをぐるぐるしてます。高見の見物人大歓迎です。

来週は、22日(木)に蛙たち、24日(土)にカフェ・ド・モミュ、25日(日)ビストロ・ローヤル(小田原)、28日(水)カフェ・イズミと出演予定です。

昨年の神宮外苑24時間の回想記載せておきます。

第10回神宮外苑24時間チャレンジ 回想記


Catsu
  1. 2016/12/17(土) 07:47:38|
  2. 歌うアスリート

沖縄サバイバルラン400km 回想記2016 その⑨

国道329号線を左折する赤崎1丁目の交差点の直前に、移動エイドが待っていてくれた。ここから石川の市街地を抜けるため、信号のトラップには気をつけたい。1キロほど進むと、そこから東恩納の交差点まで1キロ以上の登りが続く。久しぶりにヤンバルの山道が再登場してきたような感じだ。登りの好きなNさんは走り、Oさんと僕は歩いて登ることに。東恩納の交差点のさらに先、東恩納(南)の交差点を左折するのだが、ここから第3CPまでが約13km。2時間の余裕は見ておきたい。僕らはジャスト2時間を残して東恩納(南)の交差点を通過した。10時ともなると、日差しも容赦ない。あと2時間の闘いだ。ここまでの時間を考えると、たったの2時間なのだが、されど2時間である。あっという間には過ぎてはくれない。1歩ずつ進みながら、気を紛らわしながらひたすら時間の流れるのを待つ。走っているときに何を考えているのかという質問をたびたび受けるが、いったんゴールしてしまうと何を考えながら走っていたかなんて言うことは全くといっていいほど思いだせない。何かを考えているようで、おそらく何も考えていないのだろう。その時その時に目に飛び込んでくる景色に対して何かしらのリアクションを考えはするものの、汗と共に、足跡と共に置き去ってきているのだと思う。おそらくいくつかとても素晴らしいおやじギャグも思いついているはずなんだろうけど、手元に残っているものが何もないのだから残念でならない。安慶名の交差点を左折したら、そこからは残り7キロちょっと。1時間ちょっとは見ておきたい。ただここで、大失態を犯してしまうことになる。なんとこの安慶名の交差点をこともあろうに直進してしまったのだ。もう少し先だろう、もう少し先だろう、を繰り返し、スーパーかねひでの前まで、400~500mのオーバーラン。時間と体力を無駄遣いしてしまった。再び安慶名の交差点まで急ぎ戻るも残された時間は50分ほど。この旅1番の暗雲が立ちこめる。万事休すか。でも僅かばかりの可能性が残されている以上、こんな状況でもやめるわけにはいかない。死んだつもりでダッシュすれば何とかなるはず。冷静に計算し直すと、1キロ7分半でいけばぎりぎり間に合うはずだった。あとは道に間違えさえしなければ。立ち込めた暗雲から、スコールが降り注ぐ。バケツを放り投げたような、もとい、バケツをひっくり返したような雨だ。金武湾入り口のY字路を左に折れ、残りが5キロとなった地点から、リタイア組の有志数名が伴走して、励ましてくれた。何とかして僕を海中道路入り口のCPまで連れて行ってくれようとしてくれるのである。なんて嬉しいことだろう。でも残り時間と残りの距離が気になって仕方がない。少しでも気を抜けばタッチの差で関門通過を逃してしまう。時計を見るとなんとかまだ少し余裕はありそうだった。それにしても、ここまで290キロ近く走ってきて、なんでこんなにダッシュしてるんだろう。体は悲鳴をあげているはずなのに、なんでまだダッシュする力が残っているんだろう?もちろん。ダッシュとは言っても僕がそう感じているだけで、周りから見ればジョグに毛が生えた程度のスピードだったことに疑いの余地はない。それでも最後の力を振り絞って293キロ地点を目指した。そしてなんとか制限時間まで4分ほど残して、第3CP、海中道路入り口にたどり着くことができた。こんなヒヤヒヤした経験は久しぶりだった。間に合ってよかった。あとは、後ろ走っていたOさんが間に合うかどうか・・・。


つづく
  1. 2016/12/15(木) 01:23:58|
  2. 歌うアスリート

沖縄サバイバルラン400km 回想記2016 その⑧

眠りに落ちた次の瞬間、周囲の叫び声で叩き起こされた。「Uさんが倒れた!泡吹いてるっ!!」。と。隣で休んでいたUさんの周りにみんなが詰め寄る。タダゴトじゃないことはすぐに分かった。「救急車呼んで!」誰かが声をあげる。呼吸停止?心停止?ふと、より深刻な事態が起こるのではという不安がよぎる。が、幸いそのようなことは起こらず、Uさんの意識もすぐに戻り、救急車が着いた時には隊員と会話ができるほどに回復していた。サイレンとともにUさんを乗せた救急車が去っていく。その後ろ姿に、Uさんの無事を祈り、Uさんの分の完走を誓った。(後日、点滴3本の末回復との報告あり)。Uさんとは辺戸岬手前の区間を一緒に走っていたが、その時は冗談半分、(昨年は天底エイドでリタイアしてるから)今年は辺戸岬まで行けたら十分って言っていたのを思い出す。辺戸岬でかなり消耗していたはずなのに、やんばるの山を越えて、ここまで辿り着いたのだ。限界の一歩手前まで自分を追い込みながら。いや、限界をすでに超えていたのかもしれない。なんという精神力だろう。5時半には出ようと思っていたのに、補給をしていたら5時45分になってしまった。あと、6時間と15分で43キロ。平均時速7キロは超えないといけない。ここまで来たからには293キロ地点の第3CPまでは是が非でも滑り込まないといけない。そこから那覇のゴールまでのことは、その後ゆっくり考えたらいい。今、持てる力を全て出しきる覚悟を決めて、辺野古から海中道路入り口までの、フルマラソンプラス1キロの旅を始めた。少しばかりの仮眠と補給が奏功したのか足取りは軽快だった。これなら5時間位でたどり着けるのではないかと楽観的な気持ちすら芽生えた。念のため、スマホアプリを起動してペースを確認してみる。体感速度は、1キロ6分少々といったところだ。が、どうだろう。アプリのアナウンスに耳を疑った。1キロ7分を超えていたのだ。そんなバカな!!こんなにスイスイ走ってるんたぜ、そんなことがあっていいものか!とりあえずGPSの誤差と信じてさらに数キロ進むもどうやら本当に時速8キロ程度のスピードしか出てない事実を認めざるを得なくなった。このままじゃちょっとの休憩すらできる余裕がない。腹痛でトイレに長居することにでもなろうものならそこでジ・エンドだ。祈るような気持ちで走りながら最初の1時間が過ぎた。8キロちょっと稼げた。その少し前にタイミングよく私設エイドが待ち構えていてくれた。1分未満の滞在時間で効率よく補給することができた。本当に貴重な存在だ。再び、夜中の峠越えを共にしたOさんとNさんと合流し、3人体制で第3CPを目指す。交互に引っ張りながら、1キロ7分半程度のペースを刻む。リタイア組の応援団にも飲み物の補給をもらいながら、全く足を止めることなく進んだ。海沿いの比較的平坦な道に入ってから少しばかり稼げたのが大きかった。残り20キロで残された時間は3時間と数分ということが分かった。1キロ9分のペースで行っても、少しお釣りがくる計算だ。よし、これはいける!気持ちにも少し余裕が出てきた。ここまで絶望につぐ絶望の展開だったが、ようやく希望の光が見えてきた。ただし、油断は禁物なことに変わりはない。走れなくなったら即アウトだ。捻挫などしてしまわないよう、注意を払う。熱中症も忘れてはいけないし。


つづく
  1. 2016/12/14(水) 14:58:07|
  2. 歌うアスリート

沖縄サバイバルラン400km 回想記2016 その⑦

東村のエイド、サンライズひがしを出発して2~3キロは湾に沿って平坦な道が続く。もうずっとこのままであって欲しいと願うが、また山道に引き戻される運命がまたすぐ先に待っていることも知っている。ガチガチに強張った全身をほぐしつつ、ゆっくり進んでいると、登りの始まる手前で、少し前にエイドを出発したNさんが歩いていた。Oさんと僕の存在に気付くと、蚊の鳴くような声で、「まだ走りますか?僕はもう宝くじ号を呼ぼうかと・・・。(※注、宝くじ号とは、リタイア者回収車のこと)」。昨年の完走者の1人であり、2日目の夜の山道を一緒に越えたNさんのまさかのリタイア宣言に僕は面喰った。よほど深刻な状況なんだろうな。どうしちゃったんだろう。とNさんにかける言葉を探していたら、そこへOさんがすかさず一言。「何言うとんのや!行くで~!」。シンプルな檄の入れ方だった。Nさんがリタイアを迷っているほど追い込まれていて大変なのはOさんも分かっていたはずだ。だからこそ、多くを語るではなく、少し突き放すように短くそう告げたのだと思う。まさに愛のムチを垣間見た瞬間だった。勾配のきついエリアに突入して歩いていると、背後からヘッドライトがちらちらと近づいてきた。さすが登りのNさん。持ち直してまた戻ってきた。やっぱりこうでないと!Nさんの踏ん張りに僕も力をもらった。やっぱり簡単には諦めちゃいけないのがサバイバルだ。僕らの後方でがんばっていた別のOさんが、車に乗って僕たち3人の横を通り過ぎた。また1人、戦友が姿を消してしまった。後で聞いた話だが、最終的に車に乗って回収されるまで、実は何度もリタイアを申し出たのだが、その度に、「本当にリタイアしちゃうんですか?」「もう一度戻ってきてここを通りますから、それまでもうちょっと進んでみたらどうですか?」と説得され、その度にリタイアを撤回したというのだ。簡単には諦めさせてもらえないのもこのサバイバルなんだなと痛感した。笑。制限時間の半分、36時間を過ぎて、僕ら3人の前に6人、後ろに1人。スタート時の49人から10人にまで絞られた。早くも昨年の完走者数10人と並んだ。ドSな主催者Oさんの薄ら笑いが漆黒の山中にこだましていたような気がした。でも負けちゃいられない。東村エイドと辺野古エイドの中間点あたりの嘉陽の共同売店に到着。時はすでに午前2時半。辺野古までは約16キロ。ここまでのペースで行くと、到着はやっぱり5時を回ってしまうだろう。そこから7時間で43キロをまた闘わないといけないのだ。強烈な睡魔に執拗に襲われ、終わらない山道は次第に絶望感で塗り固められていく。売店前のベンチに座ったOさんとNさんが、ちょっと横になっていこうかなと言う。Nさんは、もうここでリタイアしようか、とも言う。絶望的状況下でのこの後ろ向き発言。ああ、もはやここまでだと僕もついにリタイアを受けいれる準備をした。早々にカトルスから脱皮し、それと引き替えに誓った絶対完走。それも叶わず、嘘つきとまた後ろ指さされんだろうか。もういい、いかなる裁きも甘んじて受けよう。あ~早く横になってゆっくり寝たい。ここまでがんばった。今年はここまでのサバイバルの旅だったんだ。いろんな人に応援してもらって申し訳ないけど、また来年リベンジしたらいいさ。云々。ここまでの235キロの道のりを走馬灯のように思いだしながら感傷に浸っていたら、「じゃあそろそろ行くか!」。とは、再びOさんである。リタイア後のことをどうしようか模索していた矢先のことだったのでまたまた面喰った。え、ちょっと寝ていくんじゃなかったの?同じ疑問をNさんも抱いていたことだろう。動き出したOさんをNさんが追う。僕はここに残りますと言いたかったが、反射的にそして本能的に僕の体も2人を追う。もう走りたくないけど、ここに独りぼっちで取り残されるのも寂しすぎる。進むも地獄、とどまるも地獄。だったら進む方の地獄を選ぼう。今振り返ると、この瞬間が今年一番のヤマ場だった。本当に本当にリタイアしても仕方ないとあの時は思った。どんな力が作用したのか、はっきりは思いだせないが。とにかくまたレースに復帰することができた。OさんとNさん、2人がもたらしてくれた奇跡だ。息を吹き返した僕たち3人は、250キロ地点、辺野古エイドに到着した。少しでも仮眠する時間を確保したかった僕はラスト2キロほど、ペースアップした。もうフラフラで走れそうにないからと言いつつ、睡眠時間確保のためにダッシュをするというこの自己矛盾を、もはやもうどうすることもできなかった。笑。段ボールを敷いて、イマージェンシーシートにくるまって束の間の眠りに落ちた。時刻は5時15分。


つづく
  1. 2016/12/11(日) 08:39:49|
  2. 歌うアスリート

沖縄サバイバルラン400km 回想記2016 その⑥

雨でずぶ濡れになっていたので、安波のエイドを出発するときには体は冷えてガチガチになっていた。安波小学校を過ぎての左カーブ。ここから長い長い登りが続いていることは知っている。1kmは優にこえ、下手したら2kmはあるのではないかというこの登り。勾配もけっこうエグい。こんな難敵ははなから相手にする気はなかったので、歩きとおす。体を温めるためにやや大げさに手足を動かしながら。登りきるとそこには束の間のフラットエリアが待っている。その中間あたりの左側にぽつんとある自動販売機。なんでこんなところにあるんだろうと、昨年思ったが、その場所から一歩も動くことなく、その自販機はやっぱり今年もそこに居た。ずっと独りぼっちで寂しかろうから、水でも買ってあげたいのもやまやまだが、安波のエイドからそんなに進んでないので、その必要もなかったのが残念だ。平坦な道はあっという間に終わり、だらだらとまたアップダウンが始まった。走れるところは走り、登りがきつくなったら歩く。この辺りは沖縄でも最大のアメリカ軍用地、北部演習場が広がっていて、その端に沿うように進んでいく。ヘリパッド建設問題で抗議活動が展開されている高江の集落付近を通過する。デモ隊、機動隊双方の車、テントが居並び、不気味な緊張感が伝わってくる。乱闘騒ぎの巻き添えは食いたくないなと多少身構えていたが、ほとんど人影もなく、杞憂に終わった。昨年、閉店ぎりぎりに駆け込んでお世話になった、夢欄(む~らん)の青看板が目に入ってくる。5kmほど手前からご丁寧に0.5km毎に置いてある。がんばって走っているつもりでも、全然スピードが出ていない。次の看板がなかなか近づいてこない。5km進むのにこんなに時間がかかっているということを痛感させられた。本当はお店の人に昨年のお礼を伝えたかったのだが、閉店時刻をとうに過ぎていたのでそれも叶わず。来年、2年越しに伝えられるだろうか?雨は降ったり止んだりを繰り返し、その度に雨具を着たり脱いだりを繰り返す。日が沈んでしばらくしても、幸い気温はそれほど下がらなかったので、寒さが気になることはなかった。ただ地面が濡れているので、気軽に腰を下ろしたり、横になって足を休めることもできない。休みたくても休む場所が見当たらないというのはちょっとつらかった。しばらく走ると車に轢かれた大量の蛙の死骸に出くわした。雨上がりの荒川の土手で大量のミミズの死骸を目にしたのと同じ光景だった。ヘッドライトの灯りをたよりに、つぶれた蛙をよけながら走る。ここでふと頭によぎった。餌となる蛙がこんなに路上にあったら、それを捕食するハブも寄ってくるんじゃないか。ますます道端で寝っころがってなどいられない。星も見えない、単調なやんばるの山道を、東村のエイドをただただ楽しみに進む。5kmほど手前からは下りだ。だけど東村は一気には近づいてきてはくれない。時速5kmをちょっと超えるペースが精一杯なので、どうしても小一時間かかってしまう。東村到着は午後10時50分。午後1時半に奥を出発して、10時間20分もかかっている。10時間以内でたどり着いて、少しでも多く貯金を作っておきたかったが仕方ない。10分ほど横になり、11時10分再出発。また山越えをして、30km先の辺野古を目指さないといけない。このままのペースでは辺野古到着は午前5時を過ぎてしまう。そうなるとそこから海中道路までの43kmを7時間以内でということになる。疲労もたまり、睡魔も股ずれもひどくなり、刻一刻と状況が悪化していく中、この関門を突破できるだろうか。一抹の不安がよぎる。いや、もはやもう不安しかないぐらいだ。でもまだ走れる以上、進まなくてはいけない。雑念を振り払い、いま目のまえの1歩1歩に集中する。海中道路まであと73km。残された時間は12時間と50分。


つづく
  1. 2016/12/07(水) 09:46:06|
  2. 歌うアスリート
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